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百万人の天然染料:「草木染め」のコト

「草木染め」――、この言葉には独特の響きがあるようです。天然のやさしい色、日本の原風景、自然回帰、環境保護…。ふっと目に止まると、それだけでいろんなイメージが出てくる饒舌な単語ですね。一つの工芸分野まで表現しているこの「草木染め」という言い方、実はちょっと前まで登録商標だったって、知ってました? 色の話の続きの前に、ちょっとここで「草木染め」の言葉の魔力をお話します。

手染メ屋が「草木染め」という言葉を使わない理由

お気づきの方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、手染メ屋の当サイトでは、「草木染め」っていう言葉を一切使ってません。ちょっといやらしい話ですが、染屋が自分のサイトの中に「草木染め」を文章に一つも入れないというのは、見ていただいている方に染めのポイントを伝えにくいし、サイト運営としても結構損してると思います。だって、「草木染め」をキーワードにして検索してる人に絶対引っかかんないですもの。でもね、いやなんですよ、「草木染め」って入れるの。だって、この単語、それだけでひとつの世界観があるじゃないですか。いい意味でも悪い意味でも^^;。そーゆーのとっぱらって、天然染料の色を見て欲しいなって思ってるから…。 ―とまあ、カッコいいこと言ってますが、それだけじゃなく、もう一つとても大きな理由があります。「草木染め」という言葉を本来の意味で使用できる人は日本で只一人だけだって思ってるからでして、これはもう、あの山崎青樹(せいじゅ)さんしかいないだろうと。

山崎青樹さん…、80歳に手が届く染色家、このギョーカイでこの方の名を知らない人はいません(多分…)。染色界の最高セレブです。二十歳そこそこからずーっと草木染めの研究一本の人で染め出した植物は数百種! 天然染料による糸染めや布染めはもちろん、奈良時代の重要遺品の定性やら古代染めの復元やら、とにかくいろいろなさる職人かつ古代染研究家でして、著書も数十冊に及びます。大きい本屋さんで染色の本探したら、半分位は山崎青樹さんの本ですね、多分。群馬で「草木染研究所」を主催され今も現役、こないだも上代の重ね衣を復元されその著書も発刊されてます。その発表展を昨年見に行ったのですが、いや、もう、スバラシイの一言。目に入ったとたん金縛りに会いしばらく身動き取れなくなってしまった着尺が何反もありました。

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「草木染め」は登録商標だった!

この青樹さんのお父さんが山崎斌(あきら)さんという方でして、「草木染め」は、このお父さんが昭和7年に商標登録した言葉なのです。

山崎斌さんは元来染色家ではありませんでした。著名な文芸家として活動をしていた斌さんは昭和のはじめ、郷里の長野県の養蚕農家が世界恐慌などのあおりを受けて苦しんでいるのを見かね、東京から長野に移ります。そこで彼が考えたのは養蚕以外の副業。農家の人たちが自分達の野良衣用に片手間で手染め、手織りしている様子をみて、これを工芸品まで高めよう、と考えたわけです。でも、染めに関しては全くの門外漢。当時の著名染色研究家である山村六郎、植物学者の白井光太郎などの著書を読みあさり、おそらく指導も受けたのでしょう。みようみまねで農家の人たちに天然染料による染めを体系的に指導します。それと同時に、当時日本の染色業界を席巻し始めていた合成染料による染色と一線を画すために、昭和5年に「草木染」と命名、昭和7年に商標登録受理されます。

草木染による工芸品の文化復興のため、斌さんは東奔西走します。あちらで講習会、こちらで実演、地元の松本では草木染めの教習所。そして東京に「草木屋」という店舗を持ち、奥さんに任せます。 戦時中に一時期活動は中断されますが、戦後間もない昭和21年、成人された長男の青樹さんとともに長野に「月明手工芸指導所」と「草木染研究所」を開設。別名“月明郷” とうたわれ、手織り紬、紙漉き、そして草木染めなど、手仕事の郷として斌さんが思い描いていた理想郷の礎が完成します。

その後、昭和31年に群馬県高崎市に「草木染研究所」を移し、青樹さんが所長となり現在に至ります。そしてこの「草木染」ですが、現在は登録商標の権利期限が切れて誰でもが使える、というわけ。でも、この商標権は申請すれば何年でも延長できるはずで、ということは、多分青樹さんがどっかで権利を放棄してるんだと思います。

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「草木染め」が持つフンイキ

斌、青樹とつづく親子鷹の染色研究家ですが、このお二人は他の染色作家さんと大きく違うと思うところがあります。それは、染め方法を全てオープンにしている点。斌さんは、もともと自分の作品作りの為に天然染料を使い始めたのではなく、農家の副業として工芸品確立の為に染めの研究・指導をはじめたわけでして、その意思を受け継いでいる青樹さんもそうしたスタンスで染めをされています。「草木染」の商標権の放棄も、そういった行動のひとつなのでしょう。 山崎斌さんの昭和初期の活動を宮沢賢治の理想郷作りと重ねて話される方もいらっしゃるくらいですし、そう考えると染の手法をどんどん開示していくというのもうなずけるのですが、普通こういった作家さんというか職人さんは、技術に関してあまり語りたがらないのが世の常。このオープンな知識開放が「草木染」というコトバが持つ雰囲気の根源を作り出している、と思います。

作家や職人が細かいレシピをあまり語らないのは、もちろん企業秘密的な側面もあるでしょうが、俗に「一流」と呼ばれる方達が語らないのには別の理由がありますよね。「話してもわからんじゃろ…」です。恐縮ですがここで自分の体験談。手染メ屋では染色ごとに必ずメモをつけてまして染料の分量やらなんやらを記録しているのですが、糸繰りのタイミングとか、釜アタリしないようなかき混ぜ具合とか、そーゆーのって、メモできないんですよね。教室とかでも、もう、これはやってもらうしかないわけでして、ボクみたいな駆け出しでもそんなことがあるわけですから、大作家ともなればそういった有耶無耶な技術ばかりなのでは、と想像します。そりゃ、教えたくても口や本だけでは伝えきれない。かえって誤解されかねない。だから話さない。

でも、山崎親子は違います。青樹さんの本を読んでいただければ分かりますが、染料の焚き出し方、媒染剤の調合割合、沸騰の時間…、ホント細かいところまで記されています。逆にいうとそこまで細かく記されているメジャーな書物は山崎青樹さんの本くらいしかないので(探せば他にもあるのですが)、天然染料の染色といえば山崎流になることが多い。そして多くの方が山崎流の染色を楽しめる。その中には素晴らしいゲイジュツ品になるものもあれば個人の趣味で終わる作品も。いろいろな「草木染め」作品ができるわけです。そういった作品には色落ちが異常に早い染め生地もたくさん出てくるでしょうし、なんだかよくわからない染め物もでてくる…。誤解を省みず言うならば、素晴らしいものからしょーもないものまで、全て「草木染め」というコトバひとつで括られている、と感じませんか? そういう出来上がったものの中には、山崎親子が本来望んでいた形ではないものも入っているかもしれません。でも、そのような事態も全てひっくるめて山崎親子は受け容れてこれまで活動されてきたのでしょうし、青樹さんはこれからも引き続き命続く限りスタンスを変えずに染め業を邁進されることでしょう。そのエネルギーと情熱には若輩ながら畏敬の念を持たずにはいられません。そのエネルギーまで「草木染め」というコトバに入っていれば良いのですが…。

「自分のしていることがきっかけになり、世の全ての染色が草木染になれば…」と、青樹さんは著書で言われています。そのために80歳の今でも現役として真剣に染めの活動をされています。ホント感服します。畏れ多くて「草木染」なんてコトバ、ボクは使えません^^;。いろんな草木染めがありますけど、そう、本当はこんなに畏れ多い染めなんですよね、「草木染」って。でも、そんな外野を知ってか知らずか、山崎青樹さんはまだまだ頑張りつづけられるようです。最後に、青樹さんの近著「古代染色二千年の謎とその秘訣」の結び句の引用です。

染色文化の解明はまだ糸口にすぎない。媒染料の問題、そして水のこと―軟水、硬水、酸性水、アルカリ水など古代人がすでに知っていた知識を改めて認識する思いである。また、温泉の水による染色など、これからの課題も多い。伊香保の湯の花染などのことも考えたい。 いつの日か、古代人の衣服の全てを再現してみたいと念じている

…全てを再現するだなんて、まだまだやる気です、山崎青樹さん。

※当方は山崎青樹さん及びその関係各位、「草木染研究所」とはなんの関連もありません。他意等全くありませんが、間違い、表現に不適切な個所など問題がありましたらご連絡ください。訂正・削除いたします。

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