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縹(はなだ)色と藍 ~青色の変遷

青は藍より出でて藍よりも青し

ご存じ、“出藍(しゅつらん)の誉れ”っていう中国のことわざですね。 「青という色は藍の葉で染めるが、染め出された青は藍の葉よりもずっと青い」 という意味で、弟子は師匠より偉くなるぞ、ということに例えられているそうです。
まぁこのことわざの意味の掘り下げは横に置いておいて、何でこんなことわざを出したかというと、これ、紀元前300年頃の荀子という思想家が言ったものらしく、ということは、少なくとも2300年前には中国で藍染めの技術と青という色名がすでにあった、ということですよね。

藍染めは数ある天然染料の中でも紅花染めと並んでかなりの変わり者。そして、他の染料植物に比べて理論化学的側面から解説しやすい染め方でもあります。
酸とアルカリ、酸化と還元の知識をふんだんに使った工程が目白押しで、何で2000年以上も前の人たちがそんな方法を思いついたかというのは化学の世界では摩訶不思議ネタになってます。
でも、「なんで昔の人がそんなこと知ってるわけ!?」的なことは他の工芸・ものづくりジャンルでも山ほどあるわけでして、そういう時は“先人の知恵恐るべし”、で今日のところは話をまとめることに致しましょう。

で、藍ですが、日本には紅花と一緒に飛鳥時代以前、古墳時代の前後に伝わっていた、というのが一応定説です。研究家によってはもっともっと昔、日本と中国が地続きになっていたころからすでに有ったと力説される方もいらっしゃいますが。
そして、日本に藍がわたってきてからしばらくの間、「藍」って植物のことをいっているのではなかった、というのをご存知でしょうか。当時は、「藍」という言葉は今でいうと“染料”。染める材料のことを「藍」と言っていました。だから、実は同じ時期に日本に入った紅花も「藍」。

奈良から平安時代にかけて貴族の若者に人気だった色に「二藍(ふたあい)」という色があります。これは藍で染めた布に紅花の赤を重ね染して紫色を出すのですが、ほら、藍も紅花も両方とも「藍」でしょ? だから「二藍」なんです。浅葱(あさぎ)とか香色(こういろ)とか、情緒溢れる平安の色のなかでは群を抜いてベタな色名ですけが。

ちなみに、藍は中国のいろんなところから入ってきたらしいんだけど、紅花の方は当時の中国の呉の地方が産地だったらしく、「呉」の「藍」とも呼ばれてたそうです。 「呉」って“くれ”って読みますよね。 「くれ」の「あい」…、「くれのあい」…、「くれない」…、「紅」。 そう、紅花で染める赤が「紅」と呼ばれるのはこのためです。

 

・・・ と、話がそれました。「藍」は植物ではなくて「染料」の総称だったわけですが、当時日本には染料といえば藍と紅花しかありませんでした。じゃ、別の染め色は無かったのかって?いえいえ、いろいろありましたよ。茜、紫草、キハダ、どんぐり、櫨…。ありとあらゆる草木を使って昔の人も染色していました。でも、これらは染色だけじゃなくてお薬や時には食用にもなっていたわけでして、いわゆる「染めの専門的な材料」ではなかった。そこに染色だけにしか使わない血統の良い材料が輸入されてきたんですね。そりゃ、何か名前を付けてあげなきゃ、というわけで「藍」と「その他」になったんでしょうね。

さてこの藍、日本ではタデ科のタデアイという植物の葉っぱを使って染めるのですが、「生葉染め」と、醗酵させて染める「建て染め」という2種類の染法があります。細かい説明はまた別の機会にしますが、当時の染めレシピ’(そうです、レシピが残っています)を見る限りでは、平安時代までは主に「生葉染め」で染められていたと推察されます。
この生葉染めではタデアイが収穫できる夏にしか染められないのですが、とにかく綺麗な緑がかった青が出ます。更に何回も染め重ねると深い青にも。これ、当時の人たちにはとても衝撃的だったんだろうと思います。 なぜかと言うと・・・

天然染料の染色されてる方ならご存知と思いますが、青を出せる染料って、藍以外では2つしかないですよね。臭木の実と露草。でも臭木は日光に弱いし、露草に至っては水に濡らすだけで消えてしまう…。臭木の手頃な染め色は水浅葱くらいが精一杯です。

そしてもうひとつ、古代染色研究家の前田雨城氏のうけうりですが、中国とは違い古代日本での「青」はとても抽象的な色だったようです。
当時の基本色の概念は

・お日様をはじめ、あかるい色は「アカ」
・夜の漆黒など、くらい色は「クロ」
・自然界にはあまりなく、神がかり的に純粋な「シロ」

そして、上の3つのどれにも当てはまらない中間的な色は全て「アヲ(あお)」だったんだそうです。海も、空も、山々も、どれも「アカ」じゃないけど「クロ」でもない、だから「アヲ」。この考え方は平安時代あたりまで繋がっているそうで、当時の青と緑の境目がとてもいい加減なのもそのためのようです。

藍で染上げた色は、水洗いにも強いし濃く染めれば日光にもかなり強い。なにより濃度調節がしやすく、うすい綺麗な青みから濃紺まで自由自在。はっきりと主張できる青みの染め色が藍によって可能になったわけです。それで、藍で染める色には特別に色名を、ということで、「縹(はなだ)」という色ができたのだと思います。

平安から室町時代にかけて、縹色はとても明確な定義があります。それは 「藍だけで染めたものは全て縹色」です。 他のビミョーにゆれうごく不確かな青系統の色と違い、縹色は確固とした存在感を放っておりまして、薄く染めれば浅縹(あさきはなだ)、濃く染めれば深縹(こきはなだ)、透明感のある青に染めれば水縹(みはなだ)と、とても分かりやすい、どちらかと言うと色を表現しているというより「藍の色だぞ、これは!」といったアナウンス的な役割が強いと思います。

そして江戸時代になり、木綿が広まって木綿素材の藍染めが巷に出回るようになると「縹」なんていうまどろっこしい言い方は、平安では下品な当て字とされていた「花田」に変わり、それも下火になって結局「藍色」という更にわかりやすい言葉になってしまいます。 でも、「藍で染めてる色」と宣言しているあたりは変わってないんですよね、面白いことに。日本史上もっとも色名が氾濫した江戸時代でも、藍はしっかりと自分の地位を固めていたわけです。

そして、藍の染める色は青系統の代名詞となり、現在に至っています。ほら、古代の人々と違ってぼくらは「青」といえばちゃんと色が頭に浮かぶでしょ。これは藍のお陰です。もし藍が日本になかったら、日本人は今でも青と緑の違いがなかったかも。
あ、ですが、今でも私たちは青と緑、混同してますね。日本中どこを探しても“青”信号なんてないですし、“青々”と茂る草原もみたことがないですものね。

藍染めの青は、聖徳太子が冠位十二階を定める前からすでに日本でさして珍しくない色だったので、位としてはあまり高い色では有りませんが、高貴か高貴じゃないかは別として、どの時代もしっかりと主張をしつづける色だったのだろう、と思うのです。

 

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