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天然染色と仕事と環境の事 ~2004年NDPC機関紙寄稿文

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2004年8月に開催された天然染料顔料会議(NDPC)第一回大会録としての機関紙に、依頼を受けて寄稿したテキストです。手染メ屋は環境やエコロジーについてあまり言及しないことが多いのですが、なぜそうなのかを書かせていただきました。 珍しく結構真剣に書いた文章です。ちょっと長いですけどお時間よろしければ一度御覧下さい。
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今年は台風の当たり年。この原稿を書いている今も23号が京都の横をかすめています。外はざあざあ。カミナリさんまで光ってもう大騒ぎです。風の音が怖いです…。
ところで台風23号といえば、そう、はっぴいえんど。“颱風”っていう唄の歌詞の中で、台風第23号の接近をテレビの天気予報が伝えていましたよね。収録されているアルバム『風街ろまん』が発売された前年も台風当たり年だったのでしょうか?この人達大好きなんですけれど、その時も23号が上陸したのかどうかは記憶がありません、当時ボクはまだ4~5歳だったので。当然ですがその頃は優雅に音楽鑑賞などしている余裕も、台風の号数に気を取られている暇も全くありませんでした。

音楽鑑賞とは未だ無縁だった子供の頃、ボクは近所の仲間と近くにあった水田の調整池によくザリガニを採りに行きました。あのハサミが大きくてドス赤黒い、トゲトゲしいアメリカザリガニです。ニボシやイカ燻を餌に釣ったりアミかけたり。コツさえ掴めば結構簡単に捕れました。その“狩り”の途中、ごく時々ですがちょっと形の違うザリガニが見つかることがありました。運がいいと稀に石陰にひっそりといたりするんです。ハサミは丸く小さく、体色の彩りは鈍くて少々小ぶり。アメリカザリガニとは違ってだいぶずんぐりで優しい感じのザリガニでした。先生格の近所のお兄さん達はそれをニホンザリガニと呼んでいました。今思うとニホンザリガニは東北以北が生息地らしいので(当時ボクは東京の市部在住)多分違ったのだろうとは思うのですが、とにかく珍しかった。アメリカザリガニより弱そうだしあまり恰好もよくないのですが、見つけると皆大はしゃぎでした。

でも、とても珍しかったそのザリガニは捕まえても家に持ち帰ってはいけない、必ず池に還さなければいけない規則が子供たちの間で厳守されていました。ボクは年上の近所のお兄さん達から教わりましたし、そしてボクも自分の弟や彼の友達にそのルールを教えてあげました。理由はただひとつ。珍しくて滅多に採れないから、でした。カエルの皮を引ん剥いて蛇の餌にしたり、その蛇に爆竹をくわえさせて導火線に火をつけたり、普段は極めて残酷なことをしていた子供たちが、ニホンザリガニだけはとても紳士的に扱っていました。そのザリガニをキライな子は一人もいませんでした。見つけた子供はヒーローでした。その希少なザリガニを大切にする気持ちの元は、種を絶滅させてしまうことに対する罪の意識というよりは、好きなモノがなくなってしまわないように、という単純な気持ちだったような気がします。何故か分らないけれど数が少ないものに対するいたわりと愛情の気持ちが存在したことは紛れもない事実でした。皆さんもそういう記憶、ありませんでしたか?

環境問題について考えるとき、ボクはいつもこの少年時代の事を思い出します。

ボクは京都で天然染料だけを使用した染め工房を営んでいます。少々矛盾する言葉に聴こえるかもしれませんが、ボクの工房では天然染料を使う理由には出来るだけ環境問題的視点から説明しない様努めています。天然染料を使い始めたきっかけがその色の綺麗さと可愛さによるものだから、というのが大きな点だからなのですが、これは正直申しまして建前的な側面も少々あります。本音はといいますと―――

個人的には、たとえ使用するものが天然染料であっても環境に優しい染色など存在し得ないと思っています。染色をする時は「ごめんなさい」と思いながら染色をするよう気をつけています。地球の事を考えるのなら染色なんてしないのが一番。染色をする時点で少なからず植物を殺しその他の幾種もの天然資源を消費し幾ら天然由来とは言え廃液を捨てるのですから。『染液は土に還してるし、染めた素材も天然モノだから全て自然に還ります!』といくら息巻いてもそれはニンゲン様の身勝手な言い訳。資源のムダ使いを不当に正当化しているだけです。本当に天然資源の循環を考えるならば衣類は全て生成のままで過ごすべきです。でも、いくら声高に叫んでもボク達はそれをしない。色を楽しむという享楽を、パンドラの箱をはるか昔に開けてしまった為に、根源的なところで生命維持・種の保存にほとんど影響を及ぼさないにも関わらず様々なものに彩色せずにはいられない生き物になってしまっています…。少しでも良いから色を楽しむことに罪の意識を持つべきだと考えるようにしています。作る人も、そして着る人や使う人も。
環境問題を語るのはとても難しいと痛感するのはここでして、すなわち、自分の今の仕事からして地球を汚す側にまわっているわけで、汚す事を仕事にしている人間が地球の危機を語るなどちゃんちゃら可笑しい、とボクは萎縮してしまいます。

今回の第一回の大会、山口での二日目に講義された奥田賢吾氏のお話を伺って、ボクは涙腺が緩みました。講義で涙が出るなんて本当に久方ぶりでした。氏は山口の川の危機的状況を訴えておられました。環境破壊に対する批判も述べておられました。でも、氏から一番伝わったことは、地元の川とそこで生息する川魚に対する氏の愛情のとてつもない深さでした。地球を救おう、自然に優しい生き方をしよう、共存共栄を図ろう、ではありません。もちろん講義の中ではそういった言葉も入ってはいましたが、氏が訴えておられたのは「オレの好きな川や魚を汚すやつは許さん!」でした。素晴らしかった。
氏も自家用車に乗るでしょうし、ジュースやお酒を飲んでビンや缶を出すでしょう。時にはカップめんだって食しておられるかも知れません。今の時代に生きている以上、氏もやはり汚す側の人間です。でも、「好き」なことをおっしゃっておられる氏の話に全く負い目はありません。汚してきた地球を守らなければ、という義務や責任の前に「好きな川を大切にしたい」です。とても分りやすくて、力があって、感激しました。
今では氏の周りには沢山の協力者がいらっしゃって、地域ぐるみ、組織ぐるみで自然を守る活動を各地でされているそうです。周りで氏のお手伝いをされている方達も皆、氏の愛情溢れるあのパワーと目に魅せられて、氏と同じように川や魚を好きになり、そして喜んで自然を守る活動をされているのでしょう。

地球の資源の循環バランスからボク達はいつのまにか仲間外れになってしまっていると思う機会は本当に多いのですが、その引き金となっているパンドラの箱は色を楽しむ事以外にも沢山あります。でも、その享楽にふけるのを全て一度に止めることなんて出来ない。もちろん周りに「止めろ!」とも言えない。だって、自分も享楽にふけっているから。
でも、「里山で聴く鳥の声が大好きだ」とか、「広い野原でキレイな空気を吸うのが好きだ」とか、「透き通る空と澄んだ海と波音が好きだ」とか、そういうことなら言えます。ボクは天然から採れる色が大好きです。こんな可愛い色の洪水は見たことない、それが初めて天然染料で染められた素材の山を見たときの気持ちです。今でもその気持ちは変わりません。そして、周りの人間に言いまくっています。でも、まだまだ足りない。奥田賢吾氏を見習ってもっと頑張らなければ。

少々見当違いなたとえかも知れませんが、環境問題を語ることは北風、自然の素晴らしさやそれに対する愛おしさを語ることは太陽。ボクはそんな気がします。義務や責任の話をしても、それを守ることに対する意味と大切さに気付いていない人にはいくら素晴らしい内容でも耳に入らない。
その意味と大切さに気付くのは実体験しかありません。そして、実体験をするためのとても重要な引き金が、他人の感動なり熱いお話しなのだと思うのです。
自然の営みの素晴らしさに気付いた人、再び思い出した人は沢山の情報を欲しがるでしょう。そこで初めて義務や責任の話が生きてくる。そう思います。そして環境を守ることの意義とメソッドは、気付いた人たちの間でどんどん広がっていく。小さい頃、近所の子供が皆ザリガニのルールを知っていたように。

私達の周りは既に取り返しのつかない、取り戻すことの出来なくなってしまった状態が多くあるそうです。そんな状況をこれ以上増やさないために、奥田健吾氏のような方のお話、そしてそれに気付いた人たちがもっともっと増えなければ、と思います。
気付いた人はどんどん仲間を増やさなければなりません。ボクも頑張らなければ、です。そして、本会議もその『気付き』の感染の促進剤となることを願って止みません。

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