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貝紫染め ~帝王紫のこと

貝紫染めの発祥について
昔々、今から三千年程前の地中海東岸。そこにはフェニキア人という航海術にたけた海洋民族が所々に港湾都市を築いて交易で栄えておりました。当時の大国であるエジプトやフェニキア、そしてアッシリア帝国と海上ルートを使った商売…、今で言うと海運専門の国際商社といったところでしょうか、機能的な運搬船と有能な船員をふんだんに駆使して独自の文化を都市ごとに営んでいたそうです。 このフェニキア人、文化史的にはアルファベットの原型を作ったことで有名ですが、他にもいろいろ素晴らしいものを後世に残してます。ガラスの発明、独自の織物技術、金属細工など…。そして、貝から染料を取り出して紫色に染める技術も彼らが発見したのでした。

地中海沿岸に生息するツブリボラという小さな巻貝を砕き、中の内臓(パープル腺)を取り出してその分泌物を糸や布に擦り込んで日光にかざすと綺麗な赤紫色に発色する…。彼らはこの染法を発見して貝で染めた紫の織物を自分達の交易品として流通させますが、ひとつ難題がありました。それは、たくさん作れないこと。この貝紫染めにはものすごい量の貝が必要で、一説ではマント一枚に15000個(!)とか、布地一枚に50000個(!!)とか…。とにかく、貝を大量虐殺しないと染上げられない工芸品でして、おのずと希少価値が生まれたのでした。 フェニキア人はその後ギリシャなどに吸収・消滅していきますが、他の知識や技術とともにこの貝紫染めも後のギリシャやローマに受け継がれ、その希少性と妖しい彩りから時代の要人に愛されつづけることになります。色名も、歴代の権力者に愛されたことから「帝王紫」(ロイヤル・パープル)とか、貝紫染めが盛んだったフェニキア人都市テュロス(ティール)の名にちなんで「ティリアン・パープル」などと呼ばれました。

:帝王紫

紫は高貴と権力の証
ギリシャを制圧したマケドニアのアレキサンダー大王は貝紫の色を自分だけの色として決めたと言いますし、共和制ローマのジュリアス・シーザーも好んで「帝王紫」を着ました。また、シーザーの死後も彼の元妻クレオパトラは新しい元首アントニウスの気を引くために船の帆を全て貝紫で染上げて(一体いくつ貝を殺したんでしょう)彼の元に馳せ参じたと伝えられています。
帝政ローマになってからは歴代の皇帝が皆この帝王紫を愛しました。暴君ネロは帝王紫を着用・販売した者を死刑に処したといいます。そういえば数年前にアカデミー賞の衣装部門に輝いた「グラディエーター」の意地悪な皇帝もいっつも紫のマントしてたような…、やっぱり史実に忠実なんでしょうね。後にはローマ法王など、高位の聖職者も帝王紫を好むようになります。今でもポープが紫色の法衣を着ているのはその名残でしょう。

富と名声の代名詞「帝王紫」を染め出すためローマ文化圏を中心にあくなき貝染めが行われますが、乱獲によって可哀想に貝は減りつづけました。そしてローマの衰退によって技術も先細りしてゆき、1453年のコンスタンティノープル陥落によるビザンティン帝国崩壊とともに貝紫染めの技術と産業は全て失われたといいます。地中海東海岸はツブリボラの貝殻が今も厚い地層となって眠っているそうです。

メキシコの貝紫染め
一方、西洋とは全く違う文化圏のメキシコ地方でも、古くから貝紫による染色が行われています。ヒメサラレイシガイという巻貝が岩場を覆い尽す時期が来ると、彼らは染める糸を片手に危険な岩場で根気強く染め作業をはじめます。

先ず貝を一つ一つつまんでは巻貝の口に息を吹きかけます。息にびっくりした貝はパープル腺から白い分泌液を出します。この液をすかさず糸にこすりつけ、貝は海に返します。これを何千回(!)と行い、糸に満遍なく液をこすりつけたら太陽に当てて発色させます。すると糸は綺麗な赤紫に彩られる、という手法。こちらは貝を殺しませんが、その代わり西洋に比べ更に手間と時間がかかるため、やはり大事な織物にしか使われません。

いずれにしても、この貝紫染めは本当に根気がないと出来ない染め作業です。しかも、貝紫染めにはもうひとつ難題が…。それはニオイです。何せ生の貝から取った臭い内臓を布に擦り付けてそのまま乾燥・発色させる訳でして、これは言わば貝の内臓の干物が布や糸にくっ付いてるのと同じ。フェニキアの貝紫染めではこのニオイを無くす為にさらにたくさんの香料が使われたとのこと。いったいどんなニオイになっていたのでしょう? ちょっとオゾマシイ気が・・・。

日本にも貝紫染めがあった!
1989年に発見され一躍脚光を浴びた佐賀県の吉野ヶ里遺跡。弥生時代から古墳時代までのムラ集落の痕跡を克明に残した、時系列的な研究対象にもなる素晴らしい遺跡です。ここで発掘された銅剣に付着した紫の布地。これは当初、紫草(むらさきそう)の根、紫根で染めた布とされていました。紫根による紫染めは飛鳥時代からポピュラーな染めで、いつの時代も高貴な紫は全てこの紫根で染められていたのです。しかし、前田雨城氏の研究により後日これはアカニシというアクキガイ科の貝紫による紫染めと判明。当時染色界に大反響を呼びました。何せ、冠位十二階制定の数百年も前の弥生時代の高位と思しき墓から貝紫による「帝王紫」が日本でも発見されたのですから。 その時代すでに紫は高貴な色とされていたのかもしれません。それまでは、日本の紫が高貴なのは聖徳太子が冠位十二階で決めたためで、これは中国伝来の仏教色が影響していると言われていたのですが、 吉野ヶ里遺跡の貝紫染めの発見はこの説に一石を投じるかも知れないですね。

・・・とまあ、そう言う難しいことは専門家にお任せするとしまして、実は国内で他にも貝紫染めをしている地方はいくつかあります。有名なのは志摩の海女による貝紫染め。彼女達は、潜水中の事故から身を守るおまじないとして陰陽師安倍晴明や蘆屋道満から授かったとされる“ゼーマン”や“ドーマン”というマークを、海岸の岩場でとれるイボニシという巻貝のパープル腺から染料をとってほっかむりに染め出していたそうです。今ではさすがに塗料などで描きますが、つい最近までは実際にイボニシを潰していたようで、現在も行事では貝紫染めで染めるということです。

貝紫染め、体験してきました!
そしてやっと本題(前振り長すぎですが)。 2003年6月1日、三重県伊勢志摩の「海の博物館」で貝紫染めの体験講習を手染メ屋も参加してきました。現地で昔から海女が行っていた方法をそのまま体験。貝の採取からということで、店主と番頭で張り切って行ってまいりました。ここからは貝紫染めのご報告コーナーです。


岩と砂場の海岸。フナムシもいっぱいです。


こういう岩場にいます。真剣です。


採取したイボニシ。小さいでしょ。

先ずは博物館から歩いてすぐ裏の浜に。岩と砂の狭い浜で貝の採取です。貝紫染めに使える貝類は世界に約300種くらいあると言われています。そのほとんどがアクキガイ科の巻貝で、ここ志摩ではおもにイボニシやレイシという種類の貝を使っています。両方とも野生のカキを食べて生活するのでカキが群集している岩場によく張り付いています。
最初は岩と区別がつかないのですが、目が慣れてくると結構あちらこちらにいるのが分ります。番頭と二人、調子に乗ってかなり採取できました。こういうのってムキになりますよね。気づいたら番頭と競争していました。


虐殺現場…。パープル腺、分ります?


色素の取出し。これを何千個もやるとは…

貝を採取したら生きているうちにパープル腺を取り出します。これがなかなかグロテスク。かなづちでイボニシを叩いて割ります。強く叩いてこなごなにしない様に・・・。
慣れてくると、貝の身のどこにパープル腺が分ってくるのですが、これが本当に小さい。貝を7個つぶしましたが、店主は写真のような子供だましの模様を書くのが精一杯でした。
でも、一番辛かったのはニオイ。磯特有の腐臭とでもいいましょうか。写真で雰囲気をご紹介できないのが残念ですが、皆さん本当にニオイとの戦いでした。しかも、時間が経てば経つほど強烈に・・・。


染めた直ぐはこんな色ですが、


日光に当てて10分で、ほら赤紫に!


アカニシ。パープル腺も大きそう。

腺の黄色いネバッとした液体を爪楊枝や刷毛で取り出して集めます。そのまま原液で使っても良いのですが、かなり濃くなるので塩水で薄めて使用。
画像のように、最初は黄色くボケている色が日光に当てると見る間に赤紫に。柿渋なんかと違って色の変化がものすごく早いです。
この変化は藍染めの酸化による発色と原理は同じだそうで、10分もすると綺麗な帝王紫に近づいてきました。 半日くらい置くと色が落ち着くそうで、手染メ屋の工房に帰ったあとも時々太陽に当てて発色させて、帝王紫が完成。
この色は、紫根に比べ赤みが強く、植物の天然染料ではお目にかかれないキレイな色。小さな絵付けしか出来ませんでしたが、このふざけた(?)柄であっても妖艶な彩りの片鱗を十分に見せておりました。堅牢度はすこぶる良いそうです。特に日光には大変強いんですって。色だけでなくニオイの方も強いようで数日経っても中々消えませんでしたが。

今回の体験講習で使用したイボニシやレイシの他にも比較的手に入りやすいのがアカニシという巻貝。写真のように大きいのでパープル腺も相応のサイズだそうです。こちらは食用として市場に並んだりするので、自分で採るも良し(採取には素潜りが必要ですが)、魚屋さんに頼むも良し。今度はこのアカニシを使って、ちゃんと無地染めで糸か布を染めてみたいな、と大いなる野望を抱きながら京都へと戻ったのでした。

今回お世話になりました「海の博物館」では、定期的に貝紫体験講習を開いております。他にも海女や海民の歴史を紹介した充実の展示があり、館の落ち着いたデザインと相まってとても良い空間になっておりました。ご興味がおありの方は「海の博物館」までどうぞ!

海の博物館
http://www.umihaku.com/

tezomeya

2件のコメント

    1. かきこみありがとうございます!
      少々古い記事なので、出来るだけ早く更新致します。

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